終戦から70年。
今年の夏の三大ニュースの一つであります。一つ目は異常な暑さ、二つ目は甲子園関連、そして三つ目がこの終戦70年目です。
各局で「あれから70年」というキーワードで特集が組まれたり、ドラマ、ドキュメンタリーなど連日放送され、夏が終わった今でも毎日ではないですが放送されてます。そういうのを見て、
「あの時代に生き抜いた人たちが今の日本を作ったんだな」
と思うと、祖母や祖父の偉大さを改めて強く感じます。私自体仕事の関係で、老人ホームなどで80~100歳ぐらいのご老人とよく接するのですが、直接戦争の話を聞くとよけいに感じます。
ということで突然ですが、私が思う{あの時代の偉人たち}を何人か紹介します。
6000人のユダヤ人を救った男 杉原千畝
杉原千畝氏は、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた外交官です。
ナチス・ドイツの迫害により、欧州各地から命からがら逃れてきたユダヤ人避難民に対し、間近に日独伊三国軍事同盟の締結を控え、公徳を無視した外務省からの訓令に反し、
「人道上どうしても拒否できない」と、大量のビザ(通過査証)を発給したのです。
この時代に国(日本)の命令と違うことをするということは自殺行為と同じです。
そして私が一番かっこいいと思うのは、この時一緒に居た家族以外に誰にもこのことを言わなかったことです。
後に諸外国から勲章や、「諸国民の中の正義の人」の称号を授与され初めて日本でも認知されたことです。比べるのもどうかと思いますが、もし私だったら即行で友人に自慢していると思います。(そう、私はクソヤローです。)笑。
詳しいことは
を読んで頂ければわかると思います。読みやすいのでオススメです。
海賊と呼ばれた男 出光佐三
1945年8月15日、戦争に負けた日本には石油がありませんでした。そんな中、石油を売る商売をしていた出光佐三は一人の社員もクビにせず、自分の財産を給料として支払い、時には戦死した社員の家族が居る田舎に自分の足でお金を持っていくこともあったのです。
そんな佐三は石油を巡り世界を相手にすることになります。中東の国に石油を買いに行く途中で他の国の軍艦に狙われたりもします。しかしなんとか切り抜けて石油を日本に運び会社を発展させていきます。
百田尚樹著書の「海賊と呼ばれた男」を読めば全てがわかります。
こんな社長いたんだ!!?
と思うことでしょう。この本は読み始めたら止まらないのでご注意を。笑
伝説の将棋棋士 升田幸三
今現在最強と言われる棋士羽生善治が歴史上の人物で将棋を指してみたい人物を聞かれたときに真っ先に名前を挙げたのがこの升田幸三だと言います。名人の棋士と対戦して勝利した時に
「名人というのはゴミみたいなものだ」
「そして私はそのゴミにたかるハエだ」
と吐きすてるぐらい将棋を打つのが天才的でした。
その升田幸三が将棋を日本から失くそうとしていたGHQのナンバー2と、日本の将棋の運命をかけた話し合いで相手に放った言葉が最高にかっこいいのです。
”「われわれのたしなむチェスと違って、日本の将棋は、取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であり、人道に反するものではないか」
おいでなすったな、と思った。たぶんこれをいってくるだろうと、覚悟しておった。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」”
GHQのナンバー2に対してよくこんなこと言えますよね。
詳しく知りたい方は、この動画を見ていただければわかります。
日本人で100年に一人の黒さ 松崎しげる
すんません、ギャグです。それにしてもまじで、黒いですね。笑
いかがでしたか?最後以外は教科書に出て来ませんが、(最後もでません!)日本人の誇りともいえる人たちではないでしょうか。戦争、極貧、そんな時代を生き抜き、世界をも驚かせる偉人達のおかげで私たちは今を生きれるのではないでしょうか。
ご精読ありがとうございます。ジュイダ
この記事を書いたライター
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1986年生まれ。仙台市出身・在住。
あらゆるボケを担当。
趣味:高島礼子とほぼ同じ
特技:二足歩行
あだ名:フランク
病名:大腸むきだし、若年性かかと落とし
好きな子のタイプ:ややおっとり
好きなこがタイプ:はい
好きな子も一応タイプ:はい
タイプが好きな子?:いいえ
尊敬するひと:松本人志・渡部篤郎・
好きな作品:スワロウテイル・おやすみプンプン・ホムンクルス
著書:新種発見!69匹の愉快な生き物図鑑